心の声の駄々洩れ

ふと誰かに聞いて欲しいことをぽつりぽつらとかいていきます。

「どっちか」じゃなくて、「どっちも」でいいじゃないか!

 

                 

「田舎でストレスなく、大好きな人と温かいご飯をたべ、自然のなかで丁寧に生きていくのが私の幸せか。それとも、都会で生活感のない綺麗な家で暮らし、贅沢で豪華な生活をして生きていくのが私の幸せか。」

 

こんなことを考えたのは、陶芸体験をしに古い古民家一家に訪れたことがきっかけである。

 

築200年のその家は囲炉裏があって、いつもはそこで家族で食事をするそう。

 

陶芸体験の後にそこで家庭料理をいただいた。とても素朴で、優しい味。料理をつくってくださった奥さんとおばあちゃんには優しさとあたたかさが溢れてた。

 

二人のお子さん(2歳と年長さん)がいて、久しぶりに子どもの声を聴いた。

 

そこの家の時計はとまっていた。陶芸教室にもたしか時計がなかった。

 

この場所には時間がない。時間を忘れて時を過ごすことができる、そんな空間が在った。

 

帰り道には、畑でおばあちゃんがつくった冬瓜をたくさんもらって帰ってきた。あったかい気持ちも一緒に。久々に人と会って、「純粋に、たのしかった」と思えた日だった。

 

帰り道、「こんな幸せのなかで生きていたいなあ。」なんて思いつつ、「ヒールをはいて、思いっきりおしゃれをしてキラキラひかる街路を歩いて、グラスを交わす夜も譲れないなあ。」と欲張りな妄想をしていた。

 

帰り道の間中、母との会話も上の空。「どっちの生活をしたいのか。どっちかに決めなきゃ。」とそのことで頭がいっぱいだった。

 

だけど、ふと「どっちでもいいんじゃないか。どっちか、じゃなくてどっちもでいいんじゃないか!」と。

 

これって、いまの時代色んなことに言えるんじゃないかって。

 

仕事だって、趣味だって、幸せだって、同じレベルで色々欲張っていいんじゃないかって。

 

色々選んで捨てて、かじって、つまみ食いして、色々混ざって、それぞれの幸せができてたらいいんじゃないっかって。

 

「わたしは大好きな人たちと田舎のあたたかさに、ゆたかさ、おだやかさに触れつつ、たまにはきらきらした都会で翔けるようにはじけるように生きていたい。」

 

加筆
人間が「どっちかしか選べない」って考え方って惰性なんじゃないか、って思う。どっちか選んだ未来って、テンプレート的である意味想像しやすい。

 

でももっと頭を使って自分にとって最高な未来を創造しつづけることが大事なんだと思う。

 

ちなみに、今聴いてるアルバムは、Sam smiththe thrill of it all』です。Burning が今の所一番痺れました。ラジオでsexyzoneの佐藤勝利くんは、one last songを流してました。

 

彼のセンス、いいんですよね。一番一緒にドライブしたい芸能人ナンバーワン。

 

話は逸れてしまった。

 

言いたいことは、一度きりの人生だ。飽きるだけ欲張れ、自分!みんな!

 

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偶発的笑いと意図的笑い

 

「今度の飲み会いく?」
私は「ふたりが行くなら行く。」と答えた。

 

なぜなら、今回の飲み会は知らない人がたくさん来る。私は人見知りなのだ。

 

いつも初対面の人にたいして何をきけばいいのかわからない。というより、「何を聞いてはいけないのか」が、わからない。そのために何も言えなくなってしまう。

 

それに加えて、自分の話をするのも好きじゃない。ここの問題にはもう一つ問題が立ちはだかっているのだけれど、その話はまたの機会に。

まあ、とにかく、人見知りなのだ。

 

私を飲み会に誘ってくれた友人は人見知りをしない。どんな人とでも初対面で笑顔を生みだしている。人見知りの私からするととても尊敬する。そのことを彼女に言ったら、こんな言葉が返ってきた。

 

「わたしね、わたしと話してる人を必ず一回は笑わせるって決めてるんだ。」

 

 

この言葉。何処かで聞いたような気もする。しかし、彼女から発せられるその言葉には重みを感じた。

 

彼女からこの言葉をきいて、わたしがいままで意識してこなかったことに気付かされた。

 

 

それは、「笑い」というものは、自然発生的なものだけではなく.意図的に作り出されたものが生活のなかでもあるということだ。

 

わたしの感覚的に、日常での笑いは偶々面白かったふうに感じていた。しかし、彼女のように笑わせようとしておこる笑いもテレビの向こう側だけでなくこちら側にもあることに気づかされた。

 

わたしは初対面の人と会ったとき、どうにかその場をきりぬけることに必死だ。彼女のように一つ、笑いや笑顔を生み出すとか、そういった決めごとをつくっておくと、「今日の飲み会も楽しんでもらえたかな。」と無駄に不安にならずに、「ゲームクリア!」的な遊び感覚で切り抜けられるのかななんて思った。

 

とにかく、笑いは笑わせようと思ってくれている人がいるからおこっていることがあることを忘れてはいけない。貰ってばかりではいけないな。

 

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あだ名は距離感と性質とでできている

 

子供の頃からいくつのあだ名をつけられてきた事だろう。一つもつけられたことのない人からいくつも持っている人、定番のあだ名を持っている人など様々なことだろう。

ちなみに私は今まで21年間の人生のうち4つのあだ名をもらった。定番のあだ名は「もっちゃん」と「はっしー」の2つだ。この2つは私の名前からつけられたものだ。外見、ラベルの省略系。

あとの2つは「人間冷凍庫」と「メルヘン」。「人間冷凍庫」は中学時代のクラスメイトにつけられた。そのクラスメイトとは同じグループにいるけれどもサシはきつい、くらいの仲だった。

彼女曰く私は、冷たくてあんまり顔に気持ちを出さない人に見えたためこう呼んだそうだ。
多分、当時の私は彼女との微妙な仲の距離感を図りかねて、真顔のような微妙な顔または態度をとっていたんだろう。

もう1つの「メルヘン」は、家を「おうち」とか馬を「おうまさん」とか呼んでいたらいつの間にかそう呼ばれるようになった。

この「メルヘン」はメルヘンチックからきている。今一度メルヘンチックの意味を調べてみた。

メルヘンチックとは、
お伽噺にでもありそうな様子。小人や妖精の登場するような世界観を持つさま。メルヘン的。ファンタジー的な。

確かに当時の私も、今の私も少々ファンタジックな発想を指摘されることがあるので的を得ていると思われる。

あらためてあだ名を見ていくと、人との距離感を感じたり、客観的な自分を確かめることができた。

あなたはいくつあだ名を持っていますか?

#日記 #エッセイ #コラム #あだ名 #ニックネーム #人生 #名前

 

 

秘密は墓場まで。モヤモヤは風呂場まで。

 

風呂場

「アイディアはお風呂場で思いつきます。」

何かの記事か飲み会での誰かの話で聞いたのか、あまり覚えてはいないのだが、こんな言葉を聞いたことがある。

 

実際、私もアイディアが思いつくのはお風呂場でシャワーを浴びているときが多い。

 

でもこれは、シャワーを浴びればアイディアがふってくるというわけではない。シャワーを浴びるまでに考えに考えつくして、シャワーを浴びることで余計なものが洗い流されて、削ぎ落とされていっただけなのである。

 

説明すると、私のシャワータイムは妄想、1人語りタイムなのだ。方法は私と私でインタビュー。

 

お風呂という場所は密室で、家の中でももっともプライベートな空間だ。自分と身も心も素っ裸な状態で繰り広げられるインタビューでは、自分でも想像してなかった本音が自分の言葉で溢れてくる。

 

なぜなら普段の他者とのコミュニケーション(例えば議論、会話)は他者に伝えるということが必要不可欠である。だからどうしても自分の言葉を他者に伝わる言語に変える翻訳が必要なのだ。

 

私はどうもそれが苦手で、普段のコミュニケーションでは内容がうまく伝わらない、つたえられないもどかしさに意識がいき、そんな自分に腹がたち話すのが嫌になる。でも1人インタビューは自分が自分と話しているわけだからそんなことを感じることがないのである。

 

また、自分で自分に話しているわけだから否定もされない。相手の表情や空気も読まず本音を話すことができる。

 

だからわたしは何か考え事やモヤモヤがあれば、風呂場まで持ち帰るのだ。

 

ちなみに本日も1人インタビューを開催し、このエッセイにいたる。サンキュー、オフロ。

 

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ひとりぼっちの帰り道とおかえりの魔法

 

雨の日の帰り道、ふっと匂いを嗅いでみた。
すると、小学生の頃の記憶が蘇ってきた。

 

あれはたぶん、今より少し冬に近い時期。
友達がお休みした日のこと。帰り道の30分くらいの道のりを雨の中1人で歩いた。

 

辺りは暗く、ひとりぼっち。今のようにスマホも携帯ももっていない。
すごく寂しかった。誰も後ろをつけてはいないけど、こわくてこわくて早足で歩いて帰った。家の近くの曲がり角が見えた頃には駆け足になった。

 

あのときの玄関の灯り。母の、おばあちゃんの「おかえり。」の一言は、私の心をどれだけ安心させたことか。

 

今もちょうど雨の中、家路の帰り道の途中にいる。

 

今の私は全然寂しくない。スマホがあるから誰とだって連絡はとれるし、音楽も聞ける。

それに何より今は1人でいることのほうがスタンダードになった。

 

子どもというのは、1人でいるほうがおかしい子、1人でいる子どもはかわいそう、みたいな常識?がある。みんな一緒がスタンダード。
だから、いつもと違って1人で帰る帰り道は一層寂しかった。

 

今、大学では1人で授業も受けるし、1人で映画館にもいく。今のような1人の時間はむしろ、たった1人の時間ができてホッとしている。こうやってゆっくり考え事もできる。

 

そうおもうと、あの頃の私は寂しさを満喫し、「おかえり。」の言葉の魔法も知ったように思う。

 

今はもう、ひとりぼっちの帰り道はこわくない。
でもやっぱり、誰かが待ってくれている、そんな環境は私を安心で満たしてくれる。

 

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オノマトペで語る理想の日常

 

オノマトペ(onomatopée)
擬音・擬声・擬態など、音や様子を文字に移し替えたもの。例えば、キラキラ、ワクワクなどが挙げられる。

 

日本語は特にオノマトペが多く、情景を感情的に表現する際に用いられる。オノマトペには文化、音感、リズムや表現などが凝縮され、人が育った環境によって個性が出ると言われている。

 

先日幕張のイオンに行った。
イオンのキャッチコピーは、
"ひとも、まちも、きらきら イオンモール"

 

確かにイオンモールには沢山の人がいて、賑わいを見せていた。売られてるお洋服達は私たちの想像力を掻き立たせるように立っていた。

 

このキャッチコピーを見たとき、私ならどんな街に住みたいと思うか考えた。

 

わたしが住みたいのは、
"ひとも、まちも、とくとく" かな、と思った。
「とくとく」とは、あったかいお湯が注がれるようなじんわりあったかいイメージである。みんなで焚き火を囲んでキャンプファイヤーをしているような親しみやすくあたたかい。

 

この「とくとく」感というのは、わたしの幸せと似ている。愛情に包み込まれているような感覚だ。

 

みなさんはオノマトペで表現するならどんな街で、どんな日常を過ごしたいですか?

 

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終わるとわかって君といた。

 

指図春樹は夢を見た。
青い空の夢。遠くの方からはなしかけられているような、そんな夢だった。

 

「春樹、もう映画終わったよ。」と彼女はいった。彼女の名前は小林麻由香。
「あ、うん。ごめん、寝てた。」と僕はいった。
「うん、いいの。疲れてるでしょ。」と彼女はいった。

 

僕は疲れてなんかいなかった。ただ映画の趣味が合わない。彼女が好きな映画はオドレイ・トゥトゥが出てくるような、ファンタジックで喧嘩ばかりして最後は見るものにお任せのフランス映画。今回の映画も彼女がみたいとさんざんいっていたもので、やっぱり面白いとは思えなかった。

 

僕と彼女は映画館を出ると、よくあるチェーン店の喫茶店に入った。僕は注文に、彼女は空いている座席を探しにいった。

 

「コーヒー二つ、お願いします。」


「かしこまりました。250円です。ありがとうございます。」と目の笑っていない笑顔で僕にコーヒーを渡した。

 

彼女は窓から二番目の2人がけの席に座っていた。スマートフォンに照らされる彼女の横顔をみて、「疲れた。」と思った。

 

テーブルにコーヒーをおいて席に着いた。
「あの映画、面白かったね。」
今日も僕は君に言えない。

終わるとわかってはいるけれど。